いかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかないでいかない、で。

バラバラに点滅した5文字だけが頭の中でぐるぐる回っている。期限は切れた。君を見送る準備を、しなくちゃいけないことになる。散らかした机を片付けてくれる君が、神様のオレを叱ってくれる君が、大好きなオレの鬼男君が、まるまる消えて世界に還る。縋ったなら君はきっと壊れてしまうから、オレは口に針を通す。言葉の代わりに後から後から溢れた水は、ほんの少しの塩分を含んで流れた。どこ、どこ。どこにあるの、停止スイッチ。もう何万回と経験したこの瞬間を、今止めてしまいたいのに。攫ってしまいたいのに。君は変わらずオレの好きな人で、秘書で、儚い鬼の子だ。何一つ変わらない。手の温度も、抱きしめるときの肩も、口付けの前の小さな声も。輪廻する光の一粒でさえも、いつかの日と欠片も変わらない。こんなもんなんだよと、オレが囁く。いやだ。それでもいやだよ鬼男君、いかないで。


こんなときでさえ、貴方は笑おうとする。全てを包むには小さすぎる掌を、それならば僕が守ろうと決めた遠くて近いあの日を、目前の時が奪っていこうとしている。いやだ、やめろ。むせ返るような慣れた匂いを鼻腔に感じながら、僕は声を震わせて泣いた。笑った。気づかれているだろうか、あなたには。子供のように泣き出したいのを耐えているのは大王だけじゃない。僕だって。堪らなくなって預け投げだした背中に、背の低い温度がじんわりと伝わって唇が震える。視界が歪んだ。どうして大王は大王なんでしょう、どうして僕はあなたがこんなにも。晴れた水色の空に、沢山の光が見える。タイムリミット、か。握り締めていた右手がじりじりと映像を乱す。いつ消えるんだろう、どうやって消えていくんだろう。人の一生に比べればゆうに長い鬼の一生は、それでも大王には到底及ばない。目を開けて、それでも僕でいられるなら、どんな姿だって構わない。大王、だいおう、貴方がすきなんです。


「鬼男君、」「…、」「おにおくん、」「……なんですか。」「こっち、むいてくれる?」「…はい。」

ほんの少しの間があって、くるりと君がオレを向く。ずっと繋いだままでいた右手は、離さないままで。真正面からその綺麗な目を覗き込んだら、やっぱりオレは泣いてしまった。ごめん、駄目だね、オレ、何回やっても駄目なんだ。君が消えていくこの瞬間を、諦めることなんてできないんだ。自由な左の手を鬼男君の頬に伸ばして、ほんの少し撫でる。生きてないけど、温かい。まだ、温かい。それだけで、オレはまた泣いた。燻っている5文字が、唇の内側を叩いて痛い。滑らせた人差し指が湿っていて、オレはそれを口に運ぶ。しょっぱい。

目の前の神様は、顔をくしゃくしゃにしている。泣いている。この一生、大王の為に捧げてきたけれどこんな泣き顔は見たことがない。擦り続けて真っ赤になった目元が痛々しくて、それから愛しくて、あるはずのない心の臓が痛む心地だ。まだ時間はあるんだろうか、あとどのくらいあるんだろうか、抱きしめる時間は。触れる時間は。名前を呼ぶ時間は。あなたを、僕のまま好きでいられる時間は。空へ昇っていくものの数が減っている。ぽつりぽつりと消えていく名残惜しむような七色は、僕を呼んでいた。まってくれ、まだ、もうすこし


「…おねがい、鬼男君、まって、まって!」 パキンッ
まるで最初からそれが引き金だったみたいに、世界が割れるような音がした。優しい色の目が、大きく開いている。目が合った途端、鬼男君の足が消えた。突然、忽然と、消えた。いやだいやだいやだよ!ほどけた左手が捕まえる右手も、音を立てて消えていく。光のシャワー。オレの叫び声。

右手。胸。耳。角。痛みはない。シャッターを切るように、僕の体が切り取られていく。切り離されていく。大王は泣いている、僕も手を伸ばす。触れる、消える、消えていく。「だ」唇が乗せるあなたの名前はこれで最後だろうか、「い」好きだ。好きだ好きだ好きだ好きだ。あなたが、「お」霧が掛かるように思考がぼやけて、何も考えられなくなる。「う」 約束、守れなくてすみません。


パキンッ  「……あ、」
そして、君はゼロに消えた。なにもない。なんにも残らない。時間にすればきっと3秒と経ってないこんな瞬間に、君という存在は消えるんだ。こんなもんなんだよと、オレが囁く。しゃがみこんで、声を上げて泣いた。さようなら、さようなら。オレは、この時間の君に別れを告げる。きっと次に会えたなら、またオレは君を好きになるんだろう。身を裂かれるみたいなこんな別れを知っていても、どうしても君に。オレの欠片を探して、真っ白な君を思い知らされても、まだ。好きだよ鬼男君。また会ったときは、よろしくね。










「失礼します。」「やあ、新しい秘書の子?」「はい。」「オレが閻魔です、えーと、初めまして!」

右手を差し出す。また会えて嬉しいと震える心と、叫びだしたい感情がオレの中でない交ぜになる。何万回と繰り返しても、やっぱりまだ慣れない。通いなれた道を辿るみたいに言った言葉に、返事は返ってこなかった。あれ、いつもなら此処で丁寧な挨拶を聞くはずなのに。

「初めまして?」「え、なんで疑問系なん……え、鬼男、君?」「初めまして、じゃないでしょう。」
差し出した右手に温かな左手が重なる。あの日の続きみたいに、絡んで結ぶ。ああ、神様。

「これから、また宜しくお願いします。」
言えば、大王はまた泣いた。そろそろ泣き顔は見飽きたから、笑ってください。ねえ、大王。





リンネテイシスイッチ
(とめられなくたって、そばにいる。)